朝日新聞「うららファイル」に紹介されました     H24.2.22



 2012年2月22日(水)朝日新聞「うららファイル」に「湯の街活性 自ら動く」と題し、
芦原温泉女将の会の活動が掲載されました。
  「うららファイル」は福井で活躍するサークルやNPO団体、ボランティア団体を紹介
する企画です。

 ご覧いただけなかった皆さんにテキストで掲載しておきます。
 これまで20年の歩みを振り返り、これまでいろいろな方に支えられてきたのだと
思い直しました。
 今後も女将、若女将でがんばって参ります。
掲載された新聞!



 湯の街活性 自ら動く


 「芦原温泉旅館協同組合女性部」(女将の会)は2004年7月に発足し、16軒の旅館の女将、若女将17人で
活動しています。

 あわら温泉は1883年に灌漑用の井戸を採掘中に26.7度の温泉が湧き出たのが起源です。翌年には60度
の源泉が掘られて何軒かの温泉宿が開業し、温泉街は発展を続けました。福井大震災や芦原大火など度重なる
災害を乗り越え、今年開湯128年になります。
 あわら温泉は泉源が豊富で、各旅館が自家源泉を持ち、温泉の共同管理を一切していません。そのため各旅館
は独立自尊の精神が強く、どちらかといえば自らの旅館に専念する傾向がありました。
 そんななか、旅館同士の交流を図りたいという思いがあり、1992年10月、旅館組合青年部メンバー奥様の会
として、会の原型となる「若草会」が発足しました。定期的に昼食会を開き、仕事や家庭、女将業をどうこなすか、
包み隠さず話し合いました。
 転機は突然訪れました。

 男性任せはやめ

 97年1月、ロシア船籍タンカーナホトカ号が三国沖で座礁。重油が流出し、芦原海岸に漂着しました。美しい海岸
が真っ黒な重油でドロドロになって、再起不能と思われましたが、多くの方に清掃活動に携わっていただき、春を
迎える頃には元通りになりました。
 5月、大阪のテレビ局や新聞社を訪問し、関西から清掃活動に参加したボランティアへのお礼を番組などで伝え
ました。
 私たちが初めて着物を着て、旅館の外に飛び出した瞬間です。ボランティアが世の中を動かすのを肌で感じ、
自分たちも温泉街の活性化に貢献できるのではないかと考え始めました。
 それからは県への陳情、男性任せだった忘新年会キャンペーン、異業種交流(農業)などを精力的にこなして
きました。CMや観光協会ポスターの撮影、「おかみの一芸」の題でテレビ出演もしました。
 前向きに活動する女将の姿を多くの皆様に知ってもらおうと、2000年6月には「若草会」ホームページを開設。
非常に早い段階でインターネット媒体での活動報告を始めました。
 「北陸新幹線」の県内延伸については、県やあわら市に、2次交通の整備や持続的な温泉への誘客アピールを
陳情しています。昨年は、東日本大震災の被災者に向けた物資提供など、ボランティア活動にも行動範囲を広げ
ました。

 節分お化け復活

 芦原芸妓との関係では、おさらい会「柳糸会」を支援しています。第1回オンパク共同開催プログラム「旅館女将と
芦原芸妓がおもてなし」など、温泉と芸妓の存続のため手を携える試みも始めました。
 今年は、旅館協同組合青年部と共に「活性化委員会」を発足。定期的な勉強会からイベントの共催など幅広い
活動に取り組んでいます。
 2月4日には、半世紀ぶりに「節分おばけ」を復活。節分の日に仮装して邪気を払う風習で、旅館の主人たちが
鬼やおばけに仮装して各旅館を巡り、パフォーマンスを披露、お客様には豆をまいて追い払っていただきました。
予想以上に大盛況で、来年からも継続して行く予定です。
 また、温泉と農業をつなぐリサイクル事業を検証する「蟹ガラプロジェクト」も始めました。9月にお隣三国町の「帯の
まち流し」にも参加する予定です。
 北陸新幹線の金沢開業を2年後に控え、10年後、20年後の芦原温泉の未来を模索するため、受け身から自ら
動く女将へ。今こそその時と信じ、活動しています。

                              (白和荘女将 寄稿   朝日新聞 足立耕作記者 構成)